親は愛情を持って見守っているつもりでも、子どもは見放されたように感じているかもしれない。現在子育て中の親御さんは、そんな風に心配されることも多いのではないでしょうか。
わたし自身、養子として育てられたせいもあってか、「親に見放されているのかもしれない」と不安を抱きながら生きてきたので、そう感じる子どもがいることはとてもよく分かります。
一方で、両親と分かり合えた今では「いつだって見守っていてくれたのになぜ気づけなかったのだろう」とさえ思うのです。
そこで今回は、どうすれば子どもに「見守っていること」が伝えられるのか、わたし自身の体験も踏まえて解説します。
目次
「放任」か「見守る」か、最終的に決めるのは子ども

結論から言うと、親の対応が放任に含まれるのか見守るうちに入るのか、最終的に決めるのは子どもです。
もしも親がどんなに愛情を注いだつもりでも、子どもがそれを放任と受け取ったのであればそれは放任でしかありません。
一方で、どんなに他人が「あの親はろくに子育てもしないで……」などと非難したとしても、子どもが「見守られている」と確かに感じられていたのであれば、それはきっと見守っていてくれたのです。
親がどう思っているかは関係がありません。そこをまずは誤解しないように気を付けてください。
放任と見守るの意味の違い

ちなみに、この記事での「放任」と「見守る」は、辞書などの意味に沿って、次の通りに扱います。
放任……ほったらかして勝手にさせること。
見守る……気を付け大切にする。
放任と見守るの違いは「話を聞くか聞かないか」

では子ども目線で、何をもって放任と見守るを分けているかというと、それはひとえに「話を聞いてくれたかどうか」です。
どんな話を?と疑問に思われる場合は、ちょっと認識がずれているかもしれません。
大切なことは、話の内容よりも話した時間です。
たとえば毎日の食事で、学校から帰ってきたときの挨拶で、居間でくつろいでいるときの何気ない時間で。どれほど会話できているでしょうか。そもそも、どれほどの時間を共有できているでしょうか?
「大事な話はきちんと聞いている」というのと、「大事な話しか聞いていない」のとは、表現が違うだけで全く同じことです。
それに、普段から何気なく話せない相手に、大事なことをわざわざ話したがる人はあまりいませんよね。いわば心理的安全性が低い状態になってしまっているのです。
放任でなく見守りたいのであれば、まずは話す時間を増やしましょう。
ただし過保護に子どものことを把握しようとするのはNG

話を聞くことが見守ることに繋がる。
だからといって、子どものことを根掘り葉掘り尋ねて把握しようとするのはNGです。
たくさん話を聞いてあげたつもりなのに、どうして子どもが反抗するのかわからない。そんな親御さんもいるかもしれませんね。
その話は、子どもが話したくて話したことでしたか?
子どもから自発的にした話を、どれだけ黙って聞いてあげましたか?
それは間違っているとか、もっとこうしたほうがいいとか、すぐに口を挟んでしまっていませんでしたか?
それはただの尋問かお説教です。そういったやりとりは、話を聞いたうちには入りません。
話を聞くというのは、もっとゆっくりと、ただ耳を傾けて、同じ時間を共有するもの。問題を解決しようとか、上手く進めようとか、そんな思惑が介在しないものです。
あなたが聞きたいことを聞き出す場ではなく、子どもが話したいことを自然と話せる場を作ってあげてください。
子どもの力を信じて責任を与えるだけでいい

子どもが放任と受け取るか見守ってくれていたと受け取るかは、親がコントロールできることではありません。
そのため親にできることがあるとすれば、それは「子どもに任せるか任せないか」の選択だけです。
子どもの力を信じて、子どもの選択に対して子ども自身に責任を負わせてください。
親のその選択は、ときに子どもにとっては「放任」だとか「見放された」と感じることもあります。
それでもいつか、「あれは自分を信頼してくれたから放っておいてくれたのだ」と気づくときが来るんです。
一方、子どもの力を信じられず、責任を負わせるのを恐れる親は過保護になり子どもをコントロールしようとしてしまいます。
子どもが親の愛に気づく保証はない。それでも信じる

子どもが、「あれは見守っていてくれたのだ」と気づくタイミングがいつになるかは分かりませんし、そもそも気づくという保証もありません。
ひょっとしたらそれは、両親が亡くなったときかもしれませんね。
しかしそうだったとしても、子どもに気づいてもらえなかったら無駄になる、なんてことはありません。
親からの愛情に気づいた子どもは、その愛情を今度は周りの人へ振りまいて、そうやって愛情は連鎖します。
だから安心して、ただただ子どもを信じることに集中してみてください。
わたしも、親の愛に気づく前と気づいた後では、他人に対する見方がずいぶん変わったのを覚えています。
親からもらった愛がなければ、誰かのためにこんな文章を書くこともなかったでしょう。
見守ることができずつい過保護になってしまう親御さんへ

この記事へたどり着いた方の中には、
「本当は口出ししないほうがいいと分かっている。でも子どもを見捨てられない……」
そんな風に感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
安心してください。
たとえば子どもが失敗することが分かっていたとして、それを口に出さないのは見捨てることにはなりません。
むしろ、「なぜ失敗すると思ったのか」をきちんと見つめ直してみてください。
やってみなければ分からないことが大半ではないですか?その失敗は、果たして本当に失敗と呼べるものでしょうか?
親の目から見た失敗が、子どもにとって失敗とは限りません。
作った料理がおいしくてもあんまりおいしくなくても、別にいいんです。受験して受かっても落ちても、別にいいんです。コンクールでいい成績を残せても残せなくても、別にいいんです。
そんな出来事に対して、子どもが悔しい思いをしたときには、いっしょに悔しがってあげてください。
でも親御さんが「成功させてあげられなかった」なんて悔やむ必要はありません。
子どもを信じて、子どもに責任を取らせてあげてください。
過保護に育てられた子どもは大人になってから苦労します。
ぜひ子どもに任せることを恐れないでください。
見放されたor過保護に育てられたと感じる子どもへ

もしもあなたが、親に見放されて育ってきた、あるいは過保護に育てられてきたと感じているのなら、どうか親の苦悩を知ってあげてください。
親も「どうやって子どもに愛を伝えればいいか」、分からないまま親になっている人が大半です。
わたしも親に、「見放されているのかと思った」と話したとき、「どうやって伝えていいか分からなくて何も言えなかった」と言われたことがあります。
虐待などを擁護するつもりは毛頭ありませんが、ほとんどの親はただただ愛情表現の方法を知らなくて伝えられていないだけなのです。
まとめ
放任と見守るの違いについて、わたし自身の体験を踏まえて解説しました。
ちなみに、わたしの養子としての体験談に興味をもっていただけた方は、soarさんにインタビューしていただいたこちらの記事がだいぶ詳細で分かりやすくなっています。
もしよければ、あわせてご覧ください。
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